タイムは今の自分の映し鏡

サーキットのタイムは良くも悪くも、その時点の自分の映し鏡だと思うんです。どんなタイムでもその数字には理由が存在していて、たまたま速く走れた、たまたま遅かったということはありえません。しかしその理由を正確に把握することが簡単ではないために毎回のタイムで一喜一憂しがちです。

 

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こんなに一生懸命走っているのに、なんでこんな酷いタイムしか出ないんだろうって落胆する時もありますよね。その時は本当にわけがわからなくても半年後、1年後、2年後に振り返ると「あぁ、あの時はコレが駄目だったんだ」と気づくことがあります。長い目で考えなければいけません。
大切なのは継続性・連続性です。一回の走行で感じたこと・心掛けたことと、その時のタイム。それを踏まえて次回の走行は違うことを試す、あるいは同じことを繰り返してみる。すると新たな気づきが生まれて、その内容をまた次の走行に生かす。この積み重ねのほかにライディングを上達させる方法はありません。

 

困るのは、そんな試行錯誤を繰り返したからといって必ずしも良い方向に進むとは限らず、ドツボにはまって走るほどにタイムを落とす時もあるということです。とりわけ足回りのセッティングでは同じところをグルグル回り続けた挙句、わけが分からなくなることも(わりとよく)あります。
それでも諦めずに走り続けていればいつかは前に進みだす瞬間が訪れるのですが、僕のように酷く遠回りをして長い年月を要するかもしれません。

 

レースで上を目指すという人はできるだけ早く結果を出す必要がありますから、1年・2年スパンで考えるなんて悠長なことは言っていられません。経験豊かな先達が身近にいる環境に身を置くことがやはり近道でしょう。
でも趣味の範囲で、結果もさることながらセッティングやライディングの試行錯誤を含めた過程を楽しむことが主眼であるなら、どんな環境でも問題ありません。どれだけ遠回りしようと、自分のペースで成長できれば良いのです。

 

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サーキットを走れば他人のタイムが気になるものです。しかし他人との比較にこだわり過ぎると、結果を出すことに焦って過程を楽しむ余裕が失われます。そうなると趣味のレベルでは結局長続きしません。
他人との比較ではなく、自分自身の基準を設けるべきです。自分のレベルに照らして目標とするタイムを設定し、そこに向けて取り組んでいくのです。

 

僕の場合、675Rの目標タイムはHSR九州で1分10秒を切ることとオートポリスで2分5秒を切ることです。これらは周り(サンデーレースや九州選手権)との比較で言えば平凡なタイム、遅いタイムです。しかし僕にとっては憧れのタイムであり、且つ頑張ればなんとか達成できるかもと思わせるラインです。
自分なりの基準を決めて、自己ベスト更新をターゲットにする。ライバルは自分自身、過去の自分を超えていくことが目的であれば、マイペースでサーキットを楽しむことができます。

 

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サーキットを走るようになっていつの間にか10年が経ち、その間に仕事、家庭、生活、全ての環境が大きく変わりました。10年前は独身生活を謳歌して毎週サーキットに通い詰めるくらいの勢いでしたが、今は月に一度の“サンデーライダー”。40半ばを迎え体力の低下は著しいし、バイクと接する時間もわずか。
限られた条件の下でいかに楽しむか、走り続けるかを自分なりに工夫してきたつもりだし、ジム通いとランニングを欠かさず、年齢を重ねてもスポーツ走行に耐え得る最低限の身体作りを続けてきました。
ここ2年間はスランプに陥って、もう以前のようなタイムでは走れないかも…と半ば諦めていましたが、それでも走り続けた結果ついに不調を脱し、先月の走行で自己ベストを更新できました。ベスト更新とは言い換えれば自分史上最も速く走ることができたということです。これを人生の喜びと言わずして何と表現するのでしょう。それくらい特別な出来事なのです。

 

バイクとの付き合いは山あり谷あり。酸いも甘いも噛み分けて、マシンと向き合い、自分と向き合ってライディングを楽しむのが「いい年した大人の嗜み」というものではないでしょうか。